よく聞かれる「習字と書道の違いは何ですか?」という質問。
今日はこれを私なりに掘り下げていこうと思います。
一般的に「◯◯書道教室」と掲げていても、特にお子さまに対しては教えていることが”書道”ではなく”習字”であることがほとんどです。
この理由は、やはり親御さんの気持ちとして「きれいな字を書けるようになってほしい」「本人が書くことが好きなのでもっと上手になってほしい」という思いがあることが大きいと思います。
お子さま本人としても、頭の中に思い描いているのはお手本のようなきれいな文字で、こんな字が書けるようになったらいいなぁと思いながら習っている子が多いと思います。
習字と書道の違い。まず言葉の定義としてはこのような感じです。
習字:字を習う。正しい書き順や美し字の形を習う
書道:書によって表現される芸術
この最大の違いは、習字は人のため、書道は自分のためなのではないかと思います。
正直、自分しか見ないメモなどの字は、雑でもなんでも自分が読めれば良いのです。
しかし、郵便の宛名やお手紙、子ども達だとテストの答案用紙などは、人が見るもの。
これらを美しく書くことは、もちろん自己満足やうまく見られたいという欲もあるとは思いますが、概ねは相手のことを考えているから。
これは、必ずしも人の目を気にするというマイナスの感情ではなく、相手を思うおもてなしの心。
この感情が強いからこそ、日本は他の国よりも字の美しさに対して敏感なのかなとも思います。
近年はそのことを批判する意見も多々見られますが、それって悪いことでしょうか?
日本はオワコンだ、そんなことに時間をかけているからいつまでも世界から出遅れるんだ。
”字はきれいに書くべきなのか”という議論がされるとき、そんな声が聞こえてくることがあります。
書くことが好きでない人もやらなくてはいけないと言っているわけではありません。
あくまでも、書くことが好きで極めていきたい、そんな風に思ってくれる人が、この相手のことを思いながら書くという行為を続けていくことで、心が豊かになり生活に少しの活力が出る。
それで十分なんだと思います。
話が少し外れましたが、次に”書道”について。
書道は、習字と混同される方も多いですがこちらは芸術の域になります。
これは、書道をしている方の中では常識でも一般的にはまだまだ浸透していない事実です。
万人が見てうまいと思う字を書くのではなく、書を通して自己表現をしていく。
この、自分のための書が書道ではないかと思います。
だからお手本通りに書く必要はないし、もちろん基本はありますがその基本を知っての上であれば、何でもかんでもありなわけではないですがアレンジも可能。
深い歴史と、時代にともなう変化と、まさに温故知新の世界だなぁと感じます。
これらを踏まえて私が子どもたちに伝えていきたいこと。
まずは、書くことの楽しさを知ってほしい。
お手本通りきれいに書きたい子、自分を表現したい子、さまざまだと思います。(ちなみに私は、お手本通りきれいに書けることに喜びを見出す子どもだったなぁと今思い出しました)
その子がどんなタイプなのかをお稽古の中で見極めていき、各々にあった書くことの楽しさを教えていきたい。
そして、ある程度の年齢がきて一度書くことから離れてしまっても、また大人になった頃にふと書の存在を思い出してもらい、子どもの頃とはまた違う書の楽しさをそこで極めていってくれたら嬉しいです。
この先、書く機会がどんどん減っていったとしても芸術がなくなることはありません。
そして書の世界は一生かけても勉強しきれないくらい深い。
子どもの頃習字に触れていた子たちが、大人になってからは書道の世界に足を踏み入れてくれる。
きっと、この子たちが大人になる頃は巡り巡って再び芸術の世界が見直されているのでは?
そんな風に勝手に予測しているので、その時に書道を趣味にしてくれる人が少しでもいれば嬉しいです。